史論
坂本太郎是日本老一輩的史學(xué)家,有數(shù)的日本史權(quán)威,擔(dān)任過(guò)東京大學(xué)的教席和日本歷史學(xué)會(huì)的會(huì)長(zhǎng),是一個(gè)有代表性的資產(chǎn)階級(jí)史學(xué)家。他在撰寫(xiě)《日本史概說(shuō)》時(shí),當(dāng)然是站在資產(chǎn)階級(jí)立場(chǎng)上,用他熟悉的觀點(diǎn)、方法來(lái)處理其本國(guó)歷史的。但他畢竟是個(gè)歷史工作者,不能也不會(huì)無(wú)視客觀的存在。因此在處理一些有爭(zhēng)議的歷史問(wèn)題,對(duì)某些歷史現(xiàn)象、事件作出評(píng)價(jià)時(shí),絕大部分采取了實(shí)事求是的態(tài)度。例如,他在過(guò)去列為禁區(qū)的皇室歷史方面,對(duì)于過(guò)去被強(qiáng)制說(shuō)成歷史傳說(shuō)的解釋等方面的研究,都不是其他日本學(xué)者所能比擬的。他對(duì)圣德太子改革之所以不能成功的看法,對(duì)院政的看法,對(duì)鐮倉(cāng)幕府成立后,公武關(guān)系的看法等都很精辟,完全和生撮硬套的不同。特別是在最后,他談到日本在戰(zhàn)后很快在廢墟上建立一個(gè)經(jīng)濟(jì)大國(guó)時(shí)說(shuō)這是"日本人民能忍受苦難,勤奮勞動(dòng)、充分發(fā)揮創(chuàng)造性和鉆研精神而努力爭(zhēng)取復(fù)興的結(jié)果。"這不是說(shuō)辭,也不是夸張,而是從歷史中得到的結(jié)論。
在《日本史概說(shuō)》中評(píng)價(jià) 上杉謙信說(shuō):“在殺伐無(wú)常,狂爭(zhēng)亂斗的戰(zhàn)國(guó)武將當(dāng)中,上杉謙信以尊神佛、重人倫、尚氣節(jié)、好學(xué)問(wèn)的高節(jié)之士見(jiàn)稱,令人感到不愧是混亂中的一股清新氣息。
評(píng)價(jià)14年戰(zhàn)爭(zhēng):歷時(shí)四年的太平洋戰(zhàn)爭(zhēng),和由滿洲事變算起,長(zhǎng)達(dá)十四年的帝國(guó)主義侵略戰(zhàn)爭(zhēng),終于以慘敗而結(jié)束。它不僅使日本從一個(gè)世界大國(guó)跌落為一個(gè)遠(yuǎn)東小國(guó),而且對(duì)世界的人類(lèi)、文化還犯下了累累罪行,必須永遠(yuǎn)接受世界歷史的審判!眱H憑這兩句話,就可知他是一個(gè)有“史德”的史家。
著書(shū)
単著
『上代駅制の研究』 至文堂 1928年5月
『大化改新の研究』 至文堂 1938年6月
『日本史概說(shuō)』上 至文堂 1950年2月(新訂版1962年3月)
『日本史概說(shuō)』下 至文堂 1951年1月(同上)
『古代日本の交通』(アテネ文庫(kù)272) 弘文堂 1955年12月
『交通と通信の歴史』(郵政省教養(yǎng)の書(shū)49) 郵政弘済會(huì) 1958年3月
『日本の修史と史學(xué)』(日本歴史新書(shū)) 至文堂 1958年10月
『高等學(xué)校日本史』(検定教科書(shū)) 好學(xué)社 1958年
『日本全史』2 古代Ⅰ 東京大學(xué)出版會(huì) 1960年2月
『古事記の話』(アルプスシリーズ143) 商工財(cái)務(wù)研究會(huì) 1960年7月
『菅原道真』(人物叢書(shū)100) 吉川弘文館 1962年11月
『日本古代史の基礎(chǔ)的研究』上文獻(xiàn)篇 東京大學(xué)出版會(huì) 1964年6月
『歴史隨想 菅公と酒』 東京大學(xué)出版會(huì) 1964年6月
『日本古代史の基礎(chǔ)的研究』下制度篇 東京大學(xué)出版會(huì) 1964年10月
『日本歴史の特性』(教養(yǎng)講座シリーズ5) 國(guó)立教育會(huì)館 1967年9月(改版1977年2月)
『A Short History of Japan』 國(guó)際教育情報(bào)センター 1967年
『國(guó)家の誕生』(日本歴史全集巻2) 講談社 1968年11月(改版1975年2月)
『六國(guó)史』(日本歴史叢書(shū)27) 吉川弘文館 1970年11月
『Japanese History』 國(guó)際教育情報(bào)センター 1971年
『古典と歴史』 吉川弘文館 1972年6月
『Japanese Chronology,Understanding Japan』34 國(guó)際教育情報(bào)センター 1974年
『圣徳太子』(人物叢書(shū)178) 吉川弘文館 1979年12月
『古代史の道 考證史學(xué)六十年』 読売新聞社 1980年6月
『史書(shū)を読む』 中央公論社 1981年11月
『日本古代史叢考』 吉川弘文館 1983年12月
『The Japanese Emperor through History』 國(guó)際教育情報(bào)センター 1984年
『わが青春』 遺族私家版 1987年3月
編著
『圣徳太子全集』第1 龍吟社 1942年8月
『世界各國(guó)史』14 日本史 山川出版社 1958年1月
共著
『Understanding Japan』7 國(guó)際教育情報(bào)センター 1963年
『Understanding Japan』10 國(guó)際教育情報(bào)センター 1964年
『日本の神話伝說(shuō)』6冊(cè) 集英社 1970年4月
共編著
『高等日本史』上?下 好學(xué)社 1951年(家永三郎と共編)
『中等日本史』 學(xué)校図書(shū) 1951年(同上)
『信濃史料』第2巻 信濃史料刊行會(huì) 1952年12月
日本古典文學(xué)大系『日本書(shū)紀(jì)』下 巖波書(shū)店 1965年7月(家永三郎?井上光貞?大野晉と共編)
日本古典文學(xué)大系『日本書(shū)紀(jì)』上 巖波書(shū)店 1967年3月(同上)
『國(guó)史大系書(shū)目解題』上 吉川弘文館 1971年3月
著作集
『坂本太郎著作集』第1巻 - 第12巻 吉川弘文館
第1巻:古代の日本 1989年6月
第2巻:古事記と日本書(shū)紀(jì) 1988年12月
第3巻:六國(guó)史 1989年1月
第4巻:風(fēng)土記と萬(wàn)葉集 1988年10月
第5巻:修史と史學(xué) 1989年2月
第6巻:大化改新 1988年10月
第7巻:律令制度 1989年3月
第8巻:古代の駅と道 1989年5月
第9巻:圣徳太子と菅原道真 1989年4月
第10巻:歴史教育と文化財(cái) 1989年10月
第11巻:歴史と人物 1989年7月
第12巻:わが青春 1989年9月
記念論文集
坂本太郎博士還暦記念會(huì)編『日本古代史論集』上?下 吉川弘文館 1962年9月
坂本太郎博士古稀記念會(huì)編『続日本古代史論集』上?中?下 吉川弘文館 1972年7月
國(guó)學(xué)院大學(xué)文學(xué)部史學(xué)科編『日本史學(xué)論集 坂本太郎博士頌壽記念』 吉川弘文館 1983年12月