基本內(nèi)容
小川修三(おがわ しゅうぞう 1924年5月8日 - 2005年1月9日)は、日本の昭和時(shí)代に活動(dòng)した素粒子物理學(xué)者。
山口県出身。1947年に名古屋帝國(guó)大學(xué)(現(xiàn) 名古屋大學(xué))の理學(xué)部で物理學(xué)科を卒業(yè)后、同年12月に同大學(xué)の幅助手となり、2年后には助手となる。
1958年11月に名古屋大學(xué)の助教授となり、1965年に教授となる。1985年から1988年まで理學(xué)部長(zhǎng)を勤め、1988年には名譽(yù)教授となった。
小川は丹生潔が1971年に宇宙線の中で発見(jiàn)報(bào)告した「X粒子」が第4のクォークであると提唱したが、當(dāng)時(shí)は広く認(rèn)められるまでには至らなかった!·筏、このことが后にノーベル物理學(xué)賞受賞となった「小林益川理論」が生まれる契機(jī)となった。